堀井雄二氏がドラクエ30年の歴史とともに語った“ゲームデザイナーに必要なもの”

 8月26日、パシフィコ横浜にて開催されたコンピュータゲーム開発者向けのイベント「コンピュータエンターテインメントデベロッパーズカンファレンス2016」(CEDEC 2016)において、「ドラゴンクエストへの道 ~ドラゴンクエスト30周年を迎えて~」と題した基調講演が実施された。ゲームデザイナーの堀井雄二氏と、「ドラゴンクエストX」や開発中のシリーズ最新作である「ドラゴクエストXI」のプロデューサーを務めるスクウェア・エニックス執行役員エグゼクティブ・プロデューサーの齊籐陽介氏が登壇し、ドラゴンクエストの開発にまつわるさまざまな話が語られた。

CEDEC「ドラゴンクエスト」堀井雄二氏
会期の最終日に行われた基調講演。国民的ゲームタイトルともあって、大勢の聴講者を集めていた

スマートボールをベニヤ板で自作した小学生時代からゲームデザイナーになるまで

 冒頭では堀井雄二氏がゲームデザイナーになるまでの経緯が語られた。すでに多くの場で語られているように、堀井氏はもともと漫画家志望で、高校時代には永井豪氏の事務所に持ち込みを行ったほど。いい反応は得られなかったが漫画家への道を捨てずに、早稲田大学の漫画研究会に所属。そのときに編集者として務める先輩からの依頼でライターの仕事を始めるようになり、フリーライターとして活動していく。

  • 堀井雄二氏

 27歳の時に、マイコンに関する新聞の特集記事を読んだことがきっかけでPC-6001を購入。BASICのプログラミングを勉強し、ゲームの自作をはじめる。その後、週刊少年ジャンプでマイコンゲーム特集を担当していた堀井氏が、当時のエニックスが開催したゲームコンテストに、自作のテニスゲーム「ラブマッチテニス」で応募し入選。これを契機にアドベンチャーゲーム「ポートピア連続殺人事件」を開発し、ゲームデザイナーとしての道を歩み始める。

  • 齊籐陽介氏

 堀井氏が半生を振り返る中で「小さい頃から工夫をするのが好きだった」と語るように、小学生のときには工作でスマートボールをベニヤ板で自作し、テコの原理を活用し特定の穴に玉が入ると5個の玉が一気に出てくる仕組みも入れていたという。ほかにも学生時代には麻雀に夢中になったそうだが、麻雀牌を使ったすごろくや七並べのようなゲームを考えて、遊んだりしていたと振り返り、ゲームデザイナーとしての片りんを感じさせるエピソードを語った。

 ほかにもマイコンを購入した初期には占いのプログラムを開発。もっともあらかじめ遊びに来る友人について調べた結果を表示させるだけのものだったが、当たっていると思い込んだ友人が驚く姿を見て楽しんでいたという。自ら“いたずら好き”と称する堀井氏を表すこの一面は、ドラゴンクエストをはじめとしてさまざまな作品で取り入れられているという。

人を驚かせる発想と究極のユーザー視点--「ドラゴンクエスト」堀井雄二氏のゲームの作り方

 ちなみに、ポートピア連続殺人事件についてはゲーム冒頭の部分と結末の部分は、最初に決めてから開発に望んだという。犯人は「一番意外性のある人物は誰かを考えると“あの人”しかいなかった」と振り返る。またこの頃までは堀井氏がひとりでゲームを作っていたが、当時はデータ容量が小さかったことや、途中で自身が思うとおりに変更できること、そもそも「当時はひとりで作るものだった」という環境もあってか、苦労を感じなかったと語った。

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