誰がエクスペリエンス・デザインを決定する?

大地崇 (電通デジタル)2017年06月19日 14時40分

ジャーニーマップはぶれないためのアンカー

 「エクスペリエンス・デザインが期待されていること」、「カスタマージャーニーマップに必要な質の高いインプット」と回を進めてきましたが、今回は、結局エクスペリエンス・デザインはどうやって決めていくのかということについてです。

 正直に申し上げると、戦略の意思決定とは?といった壮大・深淵な話になるため、私の手には負えません。よって、エクスペリエンス・デザインという「顧客が触れて感じる部分をどうやってズバッと決めていけるだろうか」ということに少し絞って考えてみたいと思います。

 顧客と企業の間にある問題を解消し、さらには新しい関係性を見つけだして価値を高めていくということを総称してエクスペリエンス・デザインという言葉が使われますが、つまりお客様に良い体験をしてもらうことでビジネスを大きくするということに狙いがあります。

 難しいのはその実行で、エクスペリエンス・デザインの課題は、突き詰めると、体験を、複数の相互依存的な要素から成る構造に落とし込んで、どれだけ高度な運用に持ち込むかということになってきます。そこでは多くの場合、複数の要求や背反する条件が出現し、これらのトレードオフを解決することが、実現の鍵になります。たとえば、効果があるが、コストはかかるし、運用などの定着は難しい、といったアイディアが出たときに、どう向かいあっていけば良いのでしょうか。

 エクスペリエンス・デザインにおいては、こうしたトレードオフが生じた場合に、何を拾って、何を捨てるかの決断を的確に導くことが重要になります。その指針はデザイン・ポリシーといいますが、「ジャーニーマップ」や「ペルソナ」なども、すべてはこのトレードオフに直面した際のポリシーが、ぶれないようにするためのアンカーです。

権限を集中させて顧客の体験を考える

 問題は、顧客のエクスペリエンスという、数字や戦略として表現しにくく、多分にニュアンスを含むアイディアや構想を、どうやって組織として決めていくかです。いま改めて注目されているのは、プロダクト・マネジャー制やブランド・マネジャー制です。こうしたポジションの特徴は、顧客へ届けるエクスペリエンスに責任を持ち、開発する要素についての権限を集中させることです。

 ウェブサービスやアプリケーション・サービスなどを提供する企業では、「プロダクト・マネジャー」という、エンジニアやデザイナーとは明確に区別された職能が確立しつつあります。プロダクト・マネジャーとは、マーケティング・リサーチ、企画の立案、ロードマップの管理、リリース時の品質保証、他部門との連絡・調整など、顧客のエクスペリエンスのデザインにつながる広範な業務に責任をもつマネジャーのことです。

 エクスペリエンス・デザインでは、「これをつくったのは、彼・彼女だ」といえる人物の存在が重要になります。このデザイン・プロセスでは、プロダクト・マネジャーが、ある意味で「独裁的」に意思決定することで、製品やサービスの魅力が磨き込まれていくのです。これはメディアの編集長などをイメージしていただいてもよいかもしれません。とくに出版不況以前の有力雑誌の編集長は、ある意味社長よりも権限を持っていて、名物編集長もたくさんいらっしゃいました。

 この考え方には、確かに困難があります。消費やサービスの魅力の何をどう磨き込むのかということを、「エクスペリエンス・デザインは相互依存性が高く複雑で微妙なニュアンスが支配する世界だから」という理由で、プロダクト・マネジャーにある意味「独裁的」に決定させることになります。そこに意思決定の質が個人の感性に委ねられすぎるリスクがあるということです。しかし、編集長の例もメディアビジネスのちょっと特殊な世界の話と感じる方にお伝えしたいもうひとつの例は、自動車業界です。

自動車産業は古くからこの問題に取り組んでいる

 自動車産業では、「開発主査制度」というかたちで、1960年代からプロダクト・マネジャーにあたるポジションが導入されていました。自動車は小型車でも3万点を超える部品を使用し、公共空間で人を乗せて、高速に移動する重量物なので、安全に対する高度な社会的要求、燃費や騒音などの環境負荷対応への要求、そして高額製品としての高水準な機能への要求に、その開発はこたえていかなければいけません。

 こうした多面的要求は、開発プロジェクトの複雑度合いに直結します。そのために、開発主査が川上から川下の各エンジニアリングチームを統合的にリードし、プロモーションや販売などの各部門との調整を行う組織のあり方が確立していったそうです(藤本隆宏・キムB.クラーク『製品開発力』ダイヤモンド社、2009年)。自動車産業は世界で最も複雑なビジネスの1つだといってよいと思いますが、その開発現場の意思決定は意外なことに「独裁的」です。

 1980年代の自動車産業をフィールドに、開発主査制度に関する実証研究をおこなった藤本隆宏とキムB.クラークによれば、この開発主査というポジションがうまく機能するには2つのパターンがあるそうです。第1は欧州の高級車メーカーに観察されるパターンで、このような組織ではコンセプトやエンジニアリングへの哲学が世代を超えて組織内に浸透しており、個々の開発主査の力量が弱くても(誰が開発主査でも)、問題は発生しにくい。第2は、日本のメーカーに観察されるパターンで、開発主査が実務レベルに直接深く関与する。これはたとえば、サスペンションのような主要部品の設計やテストの細部まで、開発主査が議論して決定していくというアプローチです。

市場への「独自のパス」を持つことが重要

 これは、どちらのパターンがいいという話ではありません。働き手にとってもどちらがやりがいある組織なのかも難しいところです。エクスペリエンス・デザインの文脈で興味深いのは、この日本型の開発主査の特徴として、市場への「独自のパス」の保有があげられていることです。この独自のパスとは、エンドユーザーの声を直接聞く、サプライヤーの現場との非公式コミュニケーションをもつなどの情報ルートのことだそうです。現場を観察する、生の声に耳を傾ける、ということがマーケティングにとってだけではなく、自動車という製品開発においても重要な役割を果たしているということです。

 こうした情報源をもつからこそ、マネジャーは微細で絶妙なエクスペリエンスを具体的にイメージでき、コンセプトや開発を一貫してリードし、意思決定することができるのです。

田中猪夫
◇著者プロフィール
大地 崇(おおち たかし)
株式会社電通デジタル デジタルトランスフォーメーション部門 ビジネス/UXデザイン事業部 部長
リクルートにてインターネット分野の事業開発、R&D、テクノロジーマネジメントに関わったのち、06年から電通に参加。以降さまざまな業種において、マーケティング戦略、ブランド戦略、新規事業・商品開発支援の経験を有する。
現在は、クリエイティビティとビジネスを結びつけた顧客体験の刷新をテーマに、エクスペリエンスデザイン、ビジネスデザイン、ビジネスデベロップメントなどのプロジェクトをリードしている。

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